信じることを選ぶこと
カレーを作るのは楽しい。それは目指すところがシンプル。美味しければ正解。
11日HAPPY LUCKY STUDIOでのバターチキンカレーは完売しました。ありがとうございました。
近所に住んでる友人Pが来た。 先輩の結婚パーティに着ていく衣装を作るのを手伝ってもらう。先輩の結婚パーティは仮装パーティである。
経済の話、政治の話などをしながら風呂場で羊毛フェルトをこする。Pは陰謀論をよく唱える。
私がオカルト、好きだね。と言うと、
オカルトは面白いよ!だって本当のこと、知りたくない?!
とPは言うのだ。
衝撃だ。私はオカルトについて、話題としては好きだけどそれが本当のことつまり真実だと思って扱ったことがない。
だけど、何を真実と信じるのかは個人の自由なのだ。
個人的な神様は、宗教そのものでも良いし、オカルトでもお金でも自然でも愛も。なんでもいい。ひとつでなくてもいい。
私は何に対しでもあと一歩ふみこむ力がなくていつも信じるところまで行けない。
ポイントカードのようだと思う。私はポイントカードの類が好きではないのだが、よく店員にすすめられると断りにくくなってポイントカードを作ってしまう。ポイントカードにポイントがためられることはまれで、いつのまにか数多のポイントカードによって財布はぱんぱんに膨れ、財布の膨らみが限界に達した時、それらはゴミ箱に捨てられる。
ゴミ箱にぱらぱらと落ちていくカードを見ながら、言われるがままにいくつもの宗教で洗礼を受け、どの神様も信じなかった前世の業のようなものが頭にうかぶ。
ところで私はここ数年宇宙の本をよく読んでいる。
信じるものは、遠ければ遠いほど良い。ポイントカードも経済も政治も自然やら愛やらも近すぎる。お金は縁がなさすぎてよくわからない。宇宙のことなら今度こそ私でも信じられる気がする。自分を含めここもどっぷり宇宙であるということに気づくまでは。
Believe the moon is made of green cheese