関係があるようで無いようなこと

ここ一週間ほど毎晩夜に雨が降っているような気がする。

蝉は雨が降ると鳴かなくなるが、秋の虫たちは多少の雨だと負けじと鳴き続けるので雨音との相性の良さを自覚していると思う。音の相性というより秋の虫と雨という存在の相性の良さである。

雨と虫の声しか聞こえない夜に窓をあけて本を読むのはとても気分が良い。お金も時間もなくて旅にでることが出来なくなってからよく本を読むようになった。旅と読書も存在の相性が良い。相性がいいと言うか目的が同じところにある。遠くへ行きたいという欲求。

先日出勤時にTさんと同じバスになり、旅行の話なった。Tさんは旅行が嫌いで5年前に仕事関係で関西に行ってから一度も遠出をしていないとのことだった。動くのが嫌いな人もいるものなんだなぁと思い、家にいるのが好きなんですか?と訊くと、

荷物を詰めるのが嫌いなんです。荷物を詰めている間にも帰ってきたらこれらを片付けなきゃならないと思うと憂鬱すぎて無理なんです。

という答えが返ってきた。Tさんのデスクまわりはいつもきっちり整頓されてよく片付いている。片付いているからといってその作業が好きなわけではないのか。

よく一緒に旅行に行くKという友人がいる。Kの部屋もとてもよく片付いているが、彼女の場合はおどろくほど物が少ない。Kは旅行中に毎晩荷物をいったんトランクから出してもう一度詰めるという作業をする。自分のが一通りすむと私がベッドの上にぞんざいに放り出している服などをきっちちきっちとたたみ始める。彼女のこまごまとしたものをひとつひとつ丁寧にならべていく時のまなざしがシルバニアファミリーで遊ぶこどものようだと思う。

この毎晩トランクの中身を出してもう一度詰めるということをしていた友人がもう一人いる。彼女の部屋の物の量は普通で、常識の範囲で片付いた空間に暮らしている。学生の時に一緒にアメリカに行った。この友人はとにかく不安になるのだと言っていた。毎晩荷物を出して入れることで何を持っているのかを確認できて安心するのだという。彼女が荷物を真剣に確認している様子は冬の直前に備蓄を数えるリスのようだった。彼女はしかし旅行自体は好きで、あちこちに行っては儀式のように毎晩トランクの整理をして心の平安を得るのだそうだ。

私はめちゃくちゃに物が多い部屋で暮らしている。それは物が好きなのではなく物に対して放任主義なのだ。いなくなるならなってもいい。いたいならそこにいろと。放任したところで物は物なので、必要になる時もあるし、ひとりでにはなくならない。物に意思と筋肉があればけっこう私は物とうまくやっていけると思うのだが、いまのところそういうことにはなっていない。

私のトランクには最低限必要の物に加えて意味のわからないものが適当に放り込まれ、旅の仲間となる。そのうちのいくつかは旅先にそのまま残り、そのかわりいくつか新しい仲間が増えることもある。

旅行は好きである。

Moi je suis débordé de travail.

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